先日10月28日、岸田首相はブレア元イギリス首相の表敬訪問を受けた。
ブレア元首相といえば「第三の道」、すなわち福祉と自助努力の新しいバランスを提唱し、自助努力できる人間の教育に力を注ぐことで政策を成功させた経歴をもつ。
当時ブレア首相が置かれていたイギリスの状況は、岸田政権が直面する状況と酷似している、という指摘がある。アベノミクス新自由主義からの転換をめざしながらも、かつての民主党政権とは一線を画す「新しい資本主義」を模索する状況である。
岸田首相は金融所得倍増計画の柱として、NISA(少額投資非課税制度)の恒久化を掲げ、来年度からの実現を目指している。あわせてiDeCo(イデコ、個人型確定拠出年金制度)や企業型DC(確定拠出年金制度)の拡充も政策に盛り込んでいる。
税金の減免には財務省の抵抗が強く、どの程度の拡充が実現するのか予断を許さないが、英国の進んだ制度改革を参考に、日本の進むべき方向について、考えてみたい。
NISAの恒久化は手本とした英国に15年の遅れ
英国では、"個人の株式投資を税制面で格別に優遇する"制度が、サッチャー政権下の1987年に創設された。PEP(Personal Equity Plan)と称される制度である。
PEPは毎年着実に成長し、9年後の1996年6月末には残高約3.5兆円(株式時価総額の2.5%)に達し、英国民の10人に1人がPEPを利用するようになった。政府が国民に向かって「株式投資による資産形成を積極的に勧奨する」というメッセージには、国民の自助努力を促す機運づくりに大きな効果があった。
筆者は、わが国においても株式投資を長期的な観点から真に国民の資産形成に結びつけるには、英国で実効を挙げているこのような政策面からの積極的な支援が不可欠と、1996年発行の日本投資家協会機関誌第6号「きらめき」秋号で提唱した。26年前のことである。
(https://www.y-okabe.org/market/post_123.htmlご参照)
PEPを衣替えして1999年に対象金融商品に預金などを加えて創設されたのが、英国ISA(Investment Savings Account)である。ISAも創設当初は期間10年と区切られていたが、2008年には期限のない恒久的な制度に変更された。
日本個人投資家協会は2000年に日本版ISAの創設を金融庁など関係筋への働きかけを始め、2003年5月にはこの英国NISAを手本とした具体案を長谷川理事長名で関係筋に提案、自民党「個人株主拡大推進議員連盟」へ出向いてアピールするなど活動を積極化した。
(https://www.y-okabe.org/market/pep.htmlご参照)
2014年に至って、金融庁は同庁初の投資育成プログラムとしてISAの日本版であるNISA(Nippon Investment Savings Account)の制定に踏み切った。英国に遅れること15年にしてようやく実現に漕ぎつけたのは評価されるが、NISAの使い勝手はきわめて悪く英国ISAの足元にも及ばない。
NISAはお手本とした英国のISAに比し、極端に劣悪
日本が手本とした英国ISA(株式型)にも一般型、つみたて型、ジュニアー向けの3区分があるが、日本NISAには時限があって長期資産形成に向けての投資に適さず、年間投資限度も一般型では英国の約1/3、つみたて型では約2/3と少ない。 (表1)
英国ISAではその年に使わなかった未使用枠は翌年以降に繰り越されて、購入限度枠が累積するが、日本NISAでは繰り越しは認められていない。
NISAの使い勝手の悪さは金融商品の入れ替えができない点にもある。購入した商品を期中でいったん売却すると非課税枠が消滅する。英国ISAでは商品の入れ替えは自由である。
投資対象商品についても、英国ISAでは国債・社債などの債券が認められているが、NISAでは不可。高利回りの魅力的な外国債が多く発行されているのに、NISAの対象から社債を外す理由は見当たらない。
恒久化と合わせ大幅な限度拡大と入れ替えの自由化、簡素化が必須
NISA創設9年を経て金融庁は本年8月末にNISAの拡充要望を公表した。「簡素で分かりやすく、使い勝手の良い制度」をモットーに掲げ、
・制度の恒久化
・非課税保有期間の無期限化
・年間投資枠の拡大
・非課税限度額の設置・拡大
・制度をつみたてNISAを中心に一本化する
などが盛り込まれている。ジュニアーNISAは利用者が少なく廃止される見込みである。
来年には「NISA恒久化」は実現するものと見込まれているが、拡充の具体的な内容については財務省の抵抗が強く、実現にはまだまだ時間がかかりそうである。
肝心の年間購入枠については、金融庁は一般・つみたてともに現行の120万円、40万円をいずれも倍増することを目標としている。この目標がそのまま実現すれば、改革の第一歩としてはまずまずであるが、そうはなりそうもない。
つみたてNISAは、20代で始めたとしても40代で非課税期限が切れるので、老後のための資産形成にはならない。「年間つみたて限度40万円、20年間が最長」はあまりにもお寒い。ここはぜひ、誰もが好きなタイミングで長期資産形成を始められる利用価値の高い制度に改めていただきたい。もちろん、NISAの恒久化も期待したい。
NISA法を制定し、個人金融資産に占める所得税免税資産率の目標を20%と定めるべき
岸田首相が提唱する「資産所得倍増プラン」を実現するには、現状のように金融庁・厚労省と財務省の都度交渉マターとして処理していては埒が明かない。国民の老後資金不足が深刻化するのは待ったなしの問題なのだから、NISA・iDeCoともに根拠法を定め、法律に基づく恒久的制度として確立すべきである。
英米における家計金融資産に占める税優遇資産の割合は、2021年末時点で20%を超えている。かたや、日本では表1最下段に示したとおり、NISAで0.5%程度、iDeCoなどを加えても1%に満たない。
英国ではISA恒久化から15年を経て、残高が家計金融資産の約1割を占めるに至り、ISAでの累積資産残高が100万ポンド(1.6億円)を超える「ISAミリオネア」が出現している。金融機関もISAを主力商品と位置付けて注力し、多数のISAミリオネアを擁する大手投資プラットフォームは体験談に基づいた具体的な投資戦略を提案している。
日本ではこのような個人資産形成のための支援策が国会で議論されることはない。政府は国会での論議を経て「NISAなどによる免税額目標を、たとえば個人金融資産残高の20%まで」と設定し、免税分は富裕税など別途の財源でカバーする予算を明確に国民に示していただきたい。個人所得税の証券投資にかかる免税規模は所得税約20兆円(2022年度)の1%にもならないと推算される現状を、早急に打破しなければならない。
NISA、iDeCo普及には単元株制度の廃止が必須
NISAやiDeCoといった少額投資の障害となっているのが、100株単位でしか株の売買ができない単元株制度である。「ファーストリテイリングや任天堂の株を買おうと思ったが、高すぎて断念した。東証は機関投資家のための市場なんだと腹が立った」といった個人投資家の声には東証は耳を貸さない。
この不都合がはっきりと感じられるようになったのは、最近広がってきた米国株投資では「アップルやアマゾンでも2万円もあれば簡単に買えることが分かった」からである。米国株は高くなると、個人投資家が買いやすいように、必ず分割してくれる。
そもそも、NISAのような個人投資促進策を創りながら、年間投資限度120万円では購入できない銘柄が30銘柄もある。金融庁は単元株の廃止を東証に指示し、購入単位を1/100に引き下げて、すべての株が「1株から買える」ようにしていただきたい。
100株単位の単元株制度は、2006年にライブドアが極端な株式分割をくり返し、売買単位を数百円に切り下げたため、東証のシステムがダウンしたのが契機となって導入されたものであるが、現在では処理能力に問題はない。
東証が単元株廃止に動かないのは、上場企業が反対しているからである。株主1人当たりにつき年間1,000~2,000円という管理費用の負担増が上場企業に発生してしまうのである。
これは株主への通知をすべてデジタル化するなどの方法で解決可能である。東証が株主を見ないで上場企業の顔色のみを窺っていることが、少額投資を阻んでいる問題の根源ではなかろうか。
iDeCo改革には拠出限度の3倍増が不可欠
自分で掛け金を出し運用次第で将来の受給額が変わるiDeCoには拠出時、運用期間中、受給時の3段階で税金の優遇がある「節税投資の王様」とされている。もっとも、iDeCoは厚労省の所管で、金融庁所管のつみたてNISAが恒久化されれば、その差異はきわめて小さくなる。
個人は税制のメリット面からは優遇が手厚いiDeCoを優先利用すべきであるが、現状では運用の成果の面ではNISAの方が勝っている。国民にとっては大差のないiDeCoとつみたてNISAとが並立している省庁タテ割りの弊害は大きい。
英国にはiDeCoに相当する個人向け年金制度はなく、Life-time ISAに一本化され、次項で述べるように企業型の確定拠出年金(DC)への加入が義務付けられている。
iDeCoは本年5月から加入年齢の上限が65歳に引上げられ、10月からは企業型DCとの併用も容易となったものの、iDeCoの積立限度額は月2万円と小さく、加入者数も200万人に満たない。
iDeCoの残高は4兆円(2021年末)、企業型DCと合わせても、DC全体の加入者数8万人、残高19兆円で、個人金融資産の1%にも達していない。残高が小さいので、運用も預金や債券の比重が大きく、本格的な証券運用はなされていない。
政府はこの際iDeCoの掛け金限度を月6万円程度に引上げるべきである。これでも、将来つみたてNISAの年間限度額が2倍に拡大された場合の「80万円」には満たない。個人にとっては、iDeCoとつみたてNISAの併用は実際問題としては不可能に近いので、2制度を並立させるのであれば、両制度の均衡を図る要がある。
勤労世代の資産形成は企業型DCの私的年金制度の義務化で
国民年金(基礎年金)と厚生年金保険から成る公的年金制度には、6,762万人(2019年末)と総人口の半分が加入している。この公的年金には、年に13兆円の税金が投入されているにもかかわらず、年金支給額はマクロ経済スライドの導入によって抑制され、年金受給者の手取りは年々減少している。
この公的年金制度の上乗せ給付を保障する私的年金制度には確定給付型(DB)と確定拠出型(DC)があるが、DBは運用リスクが高く企業の負担が大きい。給付金額(退職金額)を保証する制度なので、運用不振で退職金に不足が生じた場合は事業者が準備しなければならないという負担である。さらに、運用コストがDCより高いというデメリットもある。この負担を嫌ってDBから撤収する企業が増え、加入者数は930万人に減っている。折しもこの11月には、みずほフィナンシャルグループ(FG)が2024年度に企業年金を確定拠出年金に一本化するという報道もあった。
公的年金やDBの減少を補って老後のための資産形成を支援するには、個人型DCだけでは不十分であり、国民の過半を占めている全被雇用者を対象とした確定拠出年金(DC)の提供を全企業に義務付ける年金制度に改めなければならない。
英国は「揺りかごから墓場まで」一生を通した福祉政策の徹底した福祉先進国と見られてきた。ところが福祉が充実しすぎた結果、社会福祉依存者の大量発生、自助努力の後退、経済の停滞が引き起こされた。英国病である。
そこに登場したのが、自由競争を活性化してグレート・ブリテンを取り戻そうとしたサッチャー首相であった。ブレア政権はその精神を受け継ぎ2007年、高齢化に対応する抜本的な施策としてついに公的年金を抑制し、私的年金制度へと半強制制度に転換した。私的年金を税制面で支援することと引き換えに、全企業に私的年金提供を義務化したのである。
まさに公助から自助への180度転換といえる。
改革のポイントは、私的年金への加入を勤労者に半ば強制する点にある。2012年から英企業は確定拠出年金(DC)の仕組みを作り、全社員に加入させる義務を負うこととなった。保険料は給与の8%で、労使で出し合う。労働者の負担分は5%、そのうち1%は免税分として政府が拠出し、残り3%は企業の負担である。労働者は、事後にオプトアウトと称する脱退の自由を持っているものの、脱退すれば企業と政府が負担する4%分を失うので、脱退者はきわめて少ない。
このような私的年金増強策をとってきた結果、英国は先進主要国(OECD加盟国)の私的年金資産総額の10%を占めている。人口比では5%に過ぎないので、一人当たりではOECD平均の2倍である。 逆に人口比で10%を占める日本の私的年金残高比率は5%に過ぎず、人口比ではOECD平均の1/2と劣後している。
日本も英国に倣って、早急に私的年金の義務化政策に舵を切るべきと考える。私的年金の提供義務を企業に課すのである。
(日本個人投資家協会 監事 岡部陽二)
(2022年12月1日刊行、日本個人投資家協会機関紙「ジャイコミ」2022年12月号「投資の羅針盤」所収)