昨年秋に50年来の旧友である石田護さん(伊藤忠商事理事)から、同氏のご姉妹が13年前に書かれた広島での原爆被爆体験記「ヒロシマ」の英訳版出版についてのご相談がありました。
そこで、やはり大学時代からの旧友で、小生の監訳書3冊の出版を引き受けてもらいました㈱一灯舎会長の平野皓正さんに依頼、2020年2月19日に関係者の会合を日本工業倶楽部で持ちました。残念ながら、平野さんは体調を崩されて欠席でしたが、実質一灯舎の出版を取り仕切っておられる野崎洋さんとの打ち合わせで、"HIROSHIMA- Survivors'Testimonies"の出版を快諾いただきました。
ところが、縁は奇なもので、平野皓正さんも広島出身で、広島県立第一中学に入学されたばかりの2歳年上の長兄を原爆で亡くされていることを知りました。しかも、その時の体験をお父様の平野逸三さんが書き残しておられることも判明、その小文を英訳した"Only 14 Hours to Live With Us"を本書に加えて貰えることになりました。
本書は2020年8月7日付けで刊行されることになり、打ち上げ会が武蔵野市にあるナミュールノートルダム修道女会東京修道院に関係者が参集して盛大に行われました。この修道院のシスターは本書の出版プロジェクトを主導されました渡辺愛子さんが務めておられます。打ち上げ会では、回復された平野皓正さんが出席されて、お得意のフルート演奏を披露いただきました。
●"HIROSHIMA- Survivors'Testimonies"出版に至る経緯
石田さんご一家は、1945年当時、父・義顕、義母・たか、曠子(13歳)、護(9歳)、顕子(5歳)の5人家族で、広島市平野町に住んでおられました。原爆が投下された8月6日には、退役軍人のお父上は県の任務で尾道へ出張中、護さんは竹原へ疎開中で、被爆を免れました。曠子さんは勤労奉仕が休日であった当日、ピクニックに出掛けるため可部線始発の横川駅で友人4人と待ち合わせ中被爆され、両足に重傷を負われました。たかさんと顕子さんは自宅で被爆されましたが、屋内であったため、軽症であった由です。
高梨曠子さんは、被爆後は体調すぐれず、後年は甲状腺腫や胃がんを患われましたが、本年12月には90歳となられ、俳句を詠みながら矍鑠として一人暮らしをしておられます。
水江顕子さんは、被爆後50年を経たころに、ご自身の被爆体験と姉曠子さんの被爆体験を子供や孫などに書き残すことを決心され、曠子さんを説得されました。顕子さんは、曠子さんの体験「赤い日傘」と顕子さんの体験「道子ちゃん」を「ヒロシマ」と題する51頁の小冊子に纏めて2007年に自費出版し、広島平和記念資料館と国立平和祈念館に収められました。
ナミュール・ノートルダム修道女会の渡辺愛子シスターがこれに注目され、同所における聖書研究会で本書の英訳を提案され、広島ノートルダム清心中学・高校時代の教え子である水越緑さんら三人の手で英訳、画像も豊富に採り入れた見事な英文原稿が完成しました。この段階で、小生に相談越しあった次第です。
本書の出版は原爆投下75周年に間に合い、おそらくこれが最後の英文での原爆被爆体験記となるものと考えます。本書と同時にアマゾンのKindle版も出版されております。ttps://www.amazon.co.jp/HIROSHIMA-Survivors%E2%80%99-Testimonies-English-Akiko-ebook/dp/B08F7JS3T6
●高梨曠子さんの句集『高髻』の出版(1995年7月)とエリック・フリード著"The Experience of the Atomic Bombing of Hiroshima in Poem"の出版(2009年6月)
曠子さんは60歳過ぎから近所のカルチャー教室で俳句の勉強を始め、その後小枝秀穂女の結社「秀」で研鑽を積まれました。数年ほど前に秀穂女が亡くなられて結社は解散、その後は広島にある「創生俳句会」に入って通信会員として毎月投句しておられます。
原爆投下50周年の1995年には、原爆で亡くなられた友人や知人の鎮魂と供養の意を込めて第一句集『高髻』(こうけい=仏像頭部の高い髪型「もとどり」のこと)を出版されました。
曠子さんは1955年にご結婚、1男、1女を授かられました。ご長女の恵美子さんは結婚後夫の富永謙一氏とともに渡米、米国カルフォルニア州のサンタ・ロ-サで30年間にわたり日本料理店HANAを経営しておられます。恵美子さんが常連客であったエリック・フリード神父に曠子さんの句集『高髻』を見せたところ、神父は強い関心を持たれました。2002年の夏に恵美子さん宅に滞在された曠子さんはフリード神父に被爆体験と『高髻』の俳句を詳しく語られました。
これに感動されたフリード神父は曠子さんの俳句11句を英訳して解説することを決意、曠子さんの案内で広島を訪れ、"The Experience of the Atomic Bombing of Hiroshima in Poem"を上梓されました。この作品は2008年にフリード神父と出会われた広島ノートルダム修道会の渡辺愛子シスターのご尽力で広島カトリック正義と平和協議会から出版されました。フリード神父は日本で20年以上布教や勉学に勤しみ、日本語も極めて堪能でした。
国連のNPT再検討委員会のメンバーなど関係者500名にも配布されました本書は、現在米国のAmazonで約5万円の高値が付く稀覯本となっております。AmazonのHP;https://www.amazon.com/Experience-Atomic-Bombing-Hiroshima-Poem/dp/B003MCX1PO)
本書は2018年に"Tears of the Moon, Haiku on the Atomic Bombing of Hiroshima"とタイトルのみ変更して第2版が出版されています。"HIROSHIMA― Survivors'Testimonies"の出版を機に、一灯舎から本書の復刻版とアマゾンKindle版を出版する計画が持ち上がっております。
●"Tears of the Moon, Haiku on the Atomic Bombing of Hiroshima"で世界に紹介された俳句
本書で紹介されております「ひろこ」詠の11句と締めの一句を掲げます。英文俳句11句は池本健一氏の訳をお借りしました。
Tears of the Moon, Haiku on the Atomic Bombingof Hiroshima
12 Haiku by Mrs. Hiroko Takanashi
Mrs. Takanashi experienced the atomic blast in Hiroshima on 6 August 1945 when she was a high school student. In her days until today, she wrote many haiku based on her horrible experiences. Followings are 12 of them.
A book introducing her experiences was written by Father Eric Freed, an American Catholic bishop, in 2009 and distributed to many including the United Nations.
cries of hibakusha
at Atomic Museum -
the scent of lilies
資料館心耳のなげき百合匂ふ
recalling the river of death
from the distant A-bomb memories -
a thousand paper cranes
死の川の遠き被爆忌千羽鶴
names of the young girls
on the Memorial Stones -
the moon in tears
慰霊碑の乙女の銘に月うるむ
recalling
the bloodshed scenes of A-bomb Day -
Peace Ceremony
まなうらにあの日の修羅平和祭
empty shells of cicadas
with hibakusha's souls -
early evening moon
空蝉に憑く被爆霊宵の月
candled paper ships
passing under the atomic bridge -
viewers bow deeply solemnly
被爆橋くぐる流灯ふかぶかと
candled paper ships -
two hundred thousand souls
bobbing, bobbing
二十万の霊の揺れゐる流灯や
candled paper ships
flowing to Paradise
now on the A-bombed river
流灯の補陀落はいま被爆川
clouds at dawn
making off with souls -
Atomic-bomb Day
原爆忌魂つれさる夜明雲
remaining wakeful
as recollections revolving in me -
Atomic Bombing Anniversary
寝苦しき回想めぐる原爆忌
setting roses in place
I turn my back to the atomic site
a summer morning
薔薇いけて被爆地をたつ夏の朝
deciding to be
a glittering star in the next life
I wash my hair
来世は綺羅星ときめ髪洗ふ